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小編:ヒトと魔物の分水嶺

ああ、全く、どんなに、

恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!

己が人間だった記憶のなくなることを。

(中島敦『山月記』)

【アガタ:嵐発生直後:第二寮】

 吹き荒ぶ突風、鼓膜を突き破るかの如き轟音。周囲には瓦礫が離散し、小綺麗に整えられていたはずの自分たちの部屋が、玩具のように半壊していた。……まずは自分の身の安全を確認する。状況が全て飲み込めた訳ではないが、とにかく部屋から脱出することが最優先だ。

 

 手早く体勢を整えながら、隣にいる男に声をかける。

「魔物……でしょうか」

「恐らくは」

 男の低い声が答えた。言外に互いの無事を確認する。声音の冷たさが、先ほどまで眠っていた脳に沁み渡って心地良い。

「ここを出て脱出路を確保する。いいな」

 彼の言葉に彼女は短く「ええ」と返事をして、男と共に外へと飛び出した。

【ロテュス:嵐発生直後:第二寮】

 "めーる"には「とりま西門」という文字が浮かんでいる。さすが僕の相棒。自身の無事と合流場所を伝達しつつ、「とりま」と書く余裕もあるらしい。こんな状況ではあるが、僕も「とりま」動かなければならないな、と小さな笑みが溢れた。

 雪崩れた書類と本の山脈の隙間から、白色が煤けた外套を取り出して羽織る。「……めちゃくちゃだ」と、声に出してみたとて部屋の惨状が元に戻る訳ではないが、そこかしこに飛び散った硝子の破片を見て溜息が漏れた。

 この寮は、この機関は、この町は、隊員たちにとっての大切な居場所だ。この場所を、守らなくては。再び帰ってくるためにも。……そう願いながら、僕は自室を後にした。

【ジョンキィ:嵐発生直後:第一寮】

 ……何が起きた?眼前には冷たい床が広がっていて、口内に鉄の味がにじむ。どうやら、俺は衝撃で床に倒れ伏していたらしい。いってェなクソ、と悪態をつきながら起き上がると、サフィが外套を手渡してきた。端整な顔立ちが、苦々しげに歪んでいる。

「ジョン、外を見たか?」

 サフィに促されるまま、頭を動かす。年季の入った壁は不格好な多角形にえぐり取られて、その先には、不気味に煌めく粉塵と無数の触手の渦が蠢いていた。

「なんだ、あれは……!?」

 思いがけず声が上擦ってしまう。

 情けない自分の声とは裏腹に、「多分だけど、魔物じゃないかな」と冷静にサフィが断じた。俺の悪友の胆力に、内心で舌を巻く。すると、大きく部屋の扉が開いて叫び声が聞こえた。

「サフィ、ジョン、無事!?」

【シギュー:嵐発生直後:第一寮】

「あれが魔物だっていうの……!?」

 お嬢様の声がした方を見遣る。呆然とした表情のまま、彫像のようにピクリとも動かない彼女の視線の先には、壊れた壁があり、そしてその隙間からは、巨大な渦がこちらを覗いていた。

「お嬢様、ご無事ですか!」

「ええ、なんとか」

 お嬢様の元へ駆け寄ると、ふらつきながらもしっかりとこちらを見つめ返してきた。怯えているように見えて、その実、肝は据わっている。彼女の瞳をみて、自分も少しばかりの安心感を取り戻した。

「ありがとうシギュー。それよりも、隣は大丈夫かしら」

「……!そうだ、坊っちゃまとジョンキィは……!?」

 慌てて立ち上がり、お嬢様の手を取って駆け出す。隣室の扉を開いたお嬢様が、声を張り上げた。

「サフィ、ジョン、無事!?」

WHALE…スウェーデン語、デンマーク語ではhval。

この動物の体躯がまるまるしていること、

あるいはそれを輾転とさせることに由来する。

デンマーク語でhvaltは『アーチ状の』または『丸天井のような』の意。

――ウェブスター辞典

(メルヴィル / 八木敏雄訳『白鯨』)

【アガタ:対魔物応戦:台風の目】

 渦の中心部に近づくにつれて、刃物のような寒さが肌を刺す。しかし、怯んではいられない。私が周囲の硝子片から守られているのは、頭上の鯨が身を挺して天井となってくれているからだ。彼の負担を減らすため、少しでも早く前に進まなければ。

「余計なことは考えるな。今は前に進め」

 傷だらけの鯨が、私の焦燥を見透かす。この惨状を前に、貴方かどんな気持ちでいるのか、理解したいと強く願う。……だって私は、貴方の相棒なのだから。

「ええ。私たちで魔物を……倒す」

 言い切って、鈍く光る目的地を見据えた。私を一瞥して、鯨が言う。

「……いくぞ、アガタ」

 その言葉を受けて、全身に強く力が込み上げる。私たちは、魔法陣へと向かって走り出した。

 

▶︎アガタ:魔物を倒すため機関支部へ、魔法陣維持

【ロテュス:避難誘導:西門】

 阿鼻叫喚、とはまさにこのことを言うのだろう。さすがの牡丹も、手早く怪我人の処置をしながらも眉間に皺が寄っている。先程の嫌な報告が頭から離れない。……かつて機関支部へ繋がっていた魔法陣が誤作動を起こしている、と。

「あちゃ〜どうする?といってもまだ動ける人は沢山いるし、そこを診ないと始まらない?」

 応急手当を終えた牡丹が、空を覆う風と石塊の奔流を眺めながら言った。

「魔法陣を破壊すれば、一旦はこの竜巻の被害を抑えられる、って動きもあるみたいだけど…」

 相棒の言葉に、首を振りながら答える。

「そうしたところで最終的に竜巻を封じ込められる保証はないし、魔法陣の向こうにも助けを求める人がいる…らしい。かと言って、あの魔物の倒し方は皆目見当がつかない。僕らは、他の人たちに任せるしかない」

「……そうだね、ロテュス。僕たちは圧倒的な力の前に無力だ。でも、だから今、せめて目の前の人々を、最大限大事にするしかない」

 そう言った牡丹と共に、僕は避難所の方角を振り返った。…僕らは、僕らにしかできないことをしなければ。

▶︎ロテュス:怪我人の治療に専念、魔法陣へは干渉せず

身体の一方の側の脚はみな宙に浮かび上がってしまい、

もう一方の側の脚は痛いほど床に押しつけられている。

――そのとき、父親がうしろから

今はほんとうに助かる強い一突きを彼の身体にくれた。

そこで彼は、はげしく血を流しながら、

部屋のなかの遠くのほうまですっ飛んでいった。

そこでドアがステッキでばたんと閉じられ、

やがて、ついにあたりは静かになった。

(フランツ・カフカ / 原田義人訳『変身』)

【ジョンキィ:対魔物応戦:中庭】

  一角獣の姿へと転身した俺は、ララとサフィを背に乗せて中庭を駆けていた。シギューの奴はおそらく、サフィの腕辺りにでも巻きついているのだろう。

「皆、混乱してるわ……」

 ララがふわりと髪をたなびかせながら呟く。

「私たちだけでも離れないようにしましょう」

『は、言われなくても』

 鼻を鳴らして四肢を動かし続ける。このお人好しは、相変わらず人助けのことばかり考えているのだろう。こんな危なっかしい人間を、独りにしておけるものか。

 昔からだ。サフィもララも土壇場で妙な落ち着きがある。腕の傷だってそうだ。二人とも他者の為に自分を顧みない。……だがまぁいいさ、あの街を出るとき、俺はこいつらの脚になると決めたんだ。走りながら、相棒たちに問い掛ける。

『それで、これからどうする?』

【シギュー:対魔物応戦:中庭】

 ジョンキィの言葉に、「そうだね……」と坊っちゃまが考えを巡らす。こんな状況でも、流れる髪は麗しく、伏せている眼はどこか哀しげで、戦場に似つかわしくない美しさであるとすら思う。もっとも、それを声に出すことはこの方の望むところでは無い。ので、しない。

「とりあえず、魔法陣の破壊は賛成できないな。こちらに来る人が敵ではなさそうだし…話は聞けないかな」

「そうね。まず情報を集めなくちゃ」

 坊っちゃまとお嬢様の会話を聞いた自分は、咄嗟に、「あたいはお二人の御心のままに」と答えていた。

 坊っちゃまが口にした「こちらに来る人」というのは、先程ちらと目にした、機関支部出身だという半獣半人の者たちのことを指すのだろう。彼らを見た瞬間、私の頭の中には、かつて魔物堕ちした父の姿が思い浮かんだ。

 

 ……優しかった父。

 父は魔物になっても尚、母にだけは襲い掛かることをしなかった。魔物堕ちした者、武器として人間の身体を捨てる者、半獣半人の者……そこに何の違いがあろう。彼らに心があるとするのであれば……あたいには、この渦を放っておくことはできそうにない。

▶︎アガタ:魔物から襲われている時点で「ビト≠魔物」であると判断。必要があれば救助するが魔物の討伐を優先。(維持)

▶︎ロテュス:魔物から襲われている時点で「ビト≠魔物」であると判断。救助の後、情報収集を試みる。魔法陣に干渉はしないが、個人的には影響が未知数であるため破壊に対しては否定的。(不干渉)

▶︎ジョンキィ:ビトについては人の言葉を喋っているモンスターと仮定、気配から魔物ではないと察知。魔物の討伐を優先。(維持)

▶︎シギュー:迫害され得る者の立場を理解しているが故に、ビトに対して同情的。相棒の指示に従うものの、個人としてはビトの救助を優先したいと考えている。(維持)

​(2021.10.16)

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