小編:黑き隣人の宴
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、
静かな声でもう死にますと云う。
(夏目漱石『夢十夜』)
【ロテュス:某日某時刻:西の王国側の魔法陣】
「……魔物が出たのか」
すでに属国側に向かっていた戦闘員達から、凄まじい勢いで"めーる"が送られてきた。白い外套を羽織り直し、すぐさま紙束を引っ掴んで文字を目で追いかける。
依頼は出ていないが、すでに海岸付近の村が侵食されているらしい。避難民を王国側へ誘導し、防衛拠点を築く必要がある。魔物は群生型で、綿を持った植物のような外観……銀龍との関係は不明だが、現時点では互いに干渉せず……と。
「ロテュス、ど〜するよ?」
能天気な声と共に、赤毛の男が軽やかに近づいてきた。牡丹――僕のバディであり、僕が知る限り最も頼りにできる人物だ。
「君はどう思う?牡丹」
「ん〜……別にどうとも。ま、ロテュスが怪我人のとこ向かいたいって思ってるのはわかるよ」
「はは、君には敵わないな。どうせもう怪我してるんだろ?たくさんの命知らずたちがさ」
「あらら、きびし〜」
牡丹が僕の顔を覗き込んでケラケラと笑う。笑いながら、しかしその目は笑っていない。こいつが誰よりもシビアな性格だってことを、僕は誰よりも理解している。
「それじゃ、行きますか」
「ああ」
僕たちバディは、王国の城門を後にした。
【アガタ:某日某時刻:北側の属国、戦場】
――新たに発生した魔物たちに対抗するべく、幾人もの戦闘員が戦線に介入してから、どれほどの時間が経ったのだろうか。
「浮亰……ッ!」
叫んだ私の声は、もう彼には聴こえていなかった。
無数の粘性の触手が、彼の身体を絡め取り、魔物の巣たる根元の沼へとゆっくり引きずり込もうとしている。刹那、彼と目が合った。自分の喉の奥から、悲鳴とも何ともつかないような息が漏れた。
――だがそんな私に、彼の目が、逃げろ、と必死に伝えている。
……戸惑っている場合じゃない。こんなとき、兄ならばどうするか。浮亰ならば、どうするか。考えろ。
今私がするべきことは、魔物たちの傍らで震えている少年を助けることだろう。さっき私のバディが救おうとしていた、あの少年を安全な場所へ連れ出すことだろう。
私は少年の方へ向き直ると、魔物側へ電撃を数発放ちながら走り出した。魔物から彼を庇うように覆い被さり、声をかける。
「怪我は無いですか!?」
「う、うん……でも、あの男の人が……」
少年が震える指で刺す方向には、浮亰を取り込んだ魔物の園がゆらゆらと広がっていた。おそらく他にも取り込まれた人がいるのだろう。黒い沼の中で、脱力した人間の手足がちらほらと露出しているのが見える。
しかし、周囲で戦っている機関の戦闘員の姿も少ない訳ではなかった。そのうちの一人から声がかかる。
「おいアンタ、今からここらの魔物に大規模な炎魔法を使う!それで取り込まれた人は助けられるから、一旦その坊ちゃんを連れて引いてくれ!」
「……!わかりました!」
私は少年の手を引いて、防衛拠点予定地に向かって走り出した。
走っている途中、少年が息を弾ませながら問いかけてくる。
「あの人、は、大丈夫、なの……?」
私には、浮亰が大丈夫だという確信があった。バディだからなのだろうか、今走っているこの間も、『彼の意識はここに在る』と実感していた。
「ええ、大丈夫ですよ……」
彼の無事を自分自身に言い聞かせて、足を必死に動かして進む。あと少し、あと少しで目的地に辿り着く――息を切らして走る私の頭の中に突如、じわり、と何かの映像が流れ込んできた。足が止まる。私は、少年の手を離して、その場から動けなくなってしまった。
これは、右亰の、過去だ。
【ロテュス:某日某時刻:防衛拠点】
いかにも仮拵えですといった様相の医療用テントに、聞き覚えのある声が響く。ショーの声だ。……ハンナを横抱きにしたショーが、半ば転がり込むようにして入ってくる。
「バディが……目を覚まさないんだ!」
「いいから、落ち着いて。一体何があったんだい?」
蒼白い顔をしたショーをなだめながら、あくまでも機械的に症状の把握を進める。ショーの表情は落ち着きがなく、目線は四方を泳ぎ回っているが、なんとか情報を伝えようと懸命に口を動かしている。ぐったりと横たわるハンナが、隣で牡丹の他数名に看病されている。慌てたいのはこちらの方だが、仕方がない。
ふと、向き直ったショーの顔を見て、思った。性格はまるで似ていないのに、兄のマーシィによく似ているんだな、と。
……マーシィ、君が生きていたら、彼らにどう言葉をかけていたんだろうか。
【アガタ:某日某時刻:防衛拠点】
救出されてきた浮亰が、ゆっくりと目を開いた。私の姿を確認すると、ゆるりと身体を起こして辺りを見渡す。いつも俊敏な彼の動作が緩やかなのは、気配で此処が安全だというのを感じ取っているのと、恐らくはまだ身体が思うようには動かないのであろう。
「……アガタ、ここはどこだ。俺はどのくらいの間寝ていた」
いつもより少しだけ掠れた声に、一瞬、どう答えればいいのかわからなかった。こんな気持ちになるのは初めてだ。先刻に視えた光景が脳裏によぎる。
美しく、強かな白銀の鯨の群れ。
我が同胞たち。
少年は、その群れの一員であることが誇らしかった。
――だからこそ。
深紅に染まる少年の視界。
同胞を喰らい尽くす黒き魔物。
我らを裏切り、見捨てた人間ども。
少年は、魔物と人間を憎んだ。心の底から。
アガタは動揺していた。ひどく共感してしまったと言ってもよい。彼の深い憎悪は、あまりにも彼女自身のそれと近い質感を持っていた。そしてそれは、彼女に兄のことを思い起こさせる十分な刺激となったのである。
女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。
きっと逢いに来ますから」
(夏目漱石『夢十夜』)
【アガタ:対魔物応戦:台風の目】
ハンナが起きた。
そして僕がショーから聞いたことを話して……案の定、口論が始まった。
「彼から一通りの事情は聞いたよ。どうやら今回の魔物は対象に厄介な精神的作用を及ぼすみたいだ。……君たちは今、臨時で組んでいる付け焼き刃のバディに過ぎない。本当にお互いの命に責任を持ちたいと考えているなら、少なくとも今は一旦休むべきだよ。違うかい、ハンナ?」
ハンナが僕を睨み返してくる。
「お前も今の状況をわかってるはずだ。さっきのであのお花ちゃんの性質もわかってきたし無理はしない。タモリくんもろとも死ぬつもりなんてないさ」
隣にいるショーが口を固く結んだのがわかった。話を聞かない人間ほど苛立たしいものはない。それがバディなら尚更だ。
「……よく聞いてハンナ。戦闘に出るな、とは言ってない。どのみち今目覚めたばかりなんだ、まだ数時間はロクに動けないだろ。休みながら、戦うかどうかをショーとよく話して決めるんだ。ショーはどう思うんだい?」
なるべくゆっくり、落ち着いた口調で話す。
「おっ……俺は一回休んでほしいです。ま、魔物の影響がまだどのくらいかはっきりわかっていないし……」
「……ふん、細かいことばかり気にしてたら戦えなくなるだろ。いいさ、ここじゃなくて向こうでゆっくり話そうじゃないか」
ハンナはそう吐き捨てると、ショーの腕を取って歩き出そうと背を向けた。君ってやつは。いつもそうやって生き急いで。やり場のない怒りが身体を支配する。
僕はハンナとショーの背に向かって声を掛けた。
「二人の意見はわかった。上司として忠告しておくけど、臨時とはいえ君たちはバディ契約を結んでいるんだ。必ず意思を統一してから動くように。……それと、もうひとつ」
振り返ったショーの不安げな表情を見据えて話す。君は本当に、マーシィによく似ている。
「君のお兄さんも、『死ぬつもりはない』と言っていたよ。今のハンナみたいにね」
僕は一旦二人から離れた。
物陰から見ていたであろう牡丹が近づいてくる。
「ロテュス~まだ言いたりないでしょ」
彼はそう言ってふふふと笑うと、僕の眉間をグリグリと人差し指で弄り出した。
「あの子ら臨時でしょ、ほっといてダイジョブなの?」
「大丈夫な訳ないだろ!ちょっと聞いてくれよあいつらさぁ!」
瞬間、胸の内にたまった愚痴が溢れて止まらなくなる。これから数十分困らせてしまうであろう我が相棒に、すまない、と頭の片隅で謝罪をした。
【アガタ:某日某時刻:城壁、戦場】
――いけない。疲労のせいか、頭も身体も重い。
「……っ!?」
反応が遅れた。気づいたときには、魔物の黒い腕に手脚を絡め取られていた。やはり、ろくに休まずに戦線復帰したのがまずかったか。こんな状況になっても、いやむしろこんな状況だからこそなのか、自嘲的な笑みが口の端にこぼれた。
「アガタ!」
耳の奥で右亰の叫びが響く。四肢に力が入らない。驚くべき早さで、魔物の触手は私の身体を飲み込んでいるらしい。もう、瞼は開かない。限界を悟った次の瞬間、私の意識は、途切れた。
自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。
自分が百合から顔を離す拍子に思わず、
遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
(夏目漱石『夢十夜』)
【ロテュス:某日某時刻:防衛拠点】
万年筆イベント。(加筆中)
【アガタ:某日某時刻:西の王国、診療所】
アガタ救出後。(加筆中)
(2019.10.26)